風俗嬢から派遣社員へ転身part3(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
次の日
母親と一緒に
ハローワークの
障害者の支援のコーナーへと
行った
担当の女性の方と
話しをすることができた
すると
その方は
あなたは
とても障害者には
みえないくらい
しっかりしています
だから
これから普通の企業でも
働いていけると
私達は思っています
なので
最初はA型継続型就労支援で
しばらく頑張り
就労支援していきたいと
思っております
なので
頑張って行ってください
そう言われた
私は、うれしくなって
だったら
私、頑張ります!
仕事紹介してください
そう言うと
いろんな求人を
出してくれた
その中で
食器洗浄のバイトがあった
それが良いと思い
1度見学へと
行くことになりました
連絡先を
もらったので
連絡をしたのですが
電話は、プルプルという音が鳴るだけで
誰も出ません
来る日も来る日も
かけても
つながりません
父親はその話を聞くと
痺れをきらして
車で一緒に
その職場まで
行ったのです
すると
その会社は
工場のような場所に
あったのです
そして
すみませーん
私が言うと
誰も返事はありません
父親がなんども
すみませーん!
大きな声で言って
やっと中から
男性が出てきたのです
そして
ハローワークから
紹介してもらい来たことを言うと
すみません
担当のものが
はずしておりまして
今度お電話いただけないですか?
私もわからないもので
そう言われた
父親は
何度も電話をしたのですが
つながらないので
こさせてもらったんです
そう言うと
平日の16時であれば
出ると思います
そう言われ
私達は
帰った
私は、平日になり
16:00に電話をした
するとやっと繋がり
1度お話に来て欲しいと
日にちを決めて行きました
その日にちに母親も
付いてきてくれて
一緒に行った
担当は女性で
工場の事務室のような所に
案内された
それから
頑張っていきたい意思をつげた
すると
女性は嬉しそうに
一緒に頑張りましょう
ぜひ一緒に働いてください!
そう言われました
ただ、私達の仕事は食品は触らないですが
食品の器を扱うので
検便が必要です
なので
これにしてもってきてください
そう言われた
なので
早く仕事につきたかった私は
その日のうちに
検便をもっていった
3日くらいで結果がでますので
待っててください
そう言われたので
それから、ずっと待っていました
風俗嬢から派遣社員へ転身part2(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
朝起きて、
母親と祖母の家に行った
祖母も風俗嬢を
辞めることに大賛成だった
ただ
仕事では、首になってばかりだったので
怖くて仕方なかった
話しをしながら
仕事するのが怖いと
泣いていた
すると
不動産の男の人から
連絡がきた
電話を出た
いまどこにいるの?
そう聞かれ
いま、
おばあちゃんの家にいて
仕事やろうとしてるけど
怖いねん
そう話してるねん
クビになったことも
たくさんあるしな
だけどやらなあかんのも
わかってるんねん
すると
大丈夫やで
仕事なんていっぱい
あるねん
どんな仕事でも
できることを
がんばったらええねんで
クビになったら
そこまでの会社やねん
そう思い!
そう言われて
泣きながら話しをしていた私も
少しずつ
元気になっていった
その後電話をきり
祖母とご飯を作った
祖母は
鹿児島出身なので
田舎料理を
たくさん教えてくれた
また、あんたが来たら
いっぱい教えたるからな
そう言って
笑顔だった
その後
一緒に食事をしたが
料理はおいしくて
仕方がなかった
たくさん食べて
家のそうじをしてあげた
すると
祖母が
あんたはえらいな
私はもうなんも家のことができへんのに
家に来てやってくれる
私はめっちゃうれしいんやで
そういうと
これこんだけやけど
持っていき
あんたは就職もしてなかったから
なんもあげてへんねん
だから
といって5000円を渡された
断ってもこれだけは
と聞いてくれないので
もらうことにした
そして
家に帰り
母親と話しをした
やはり
最初から
仕事に入ることは
大変だと思うから
A型継続型就労支援で
働いたら
どうだろうか?
そう言われた
だから
明日一緒にハローワークに
相談しよう!
そう話して
その日は眠りについた
風俗嬢から派遣社員へ転身part1(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
大阪に戻ってきた
私は2年ぶりに実家暮らしになった
大学生だった弟も3月になり
大学院を卒業した
就職も決まり弟は東京で一人暮らしに
なった
戻ってきてすぐ
弟は、バイクも売り
引越しの準備も終わらしていた
そして
弟の旅立ちの日がやってきた
平日なので
父親抜きの母親と私で
見送りに行った
車を出ると
またね!
そう言うと
ゆっくり駅の中に
消えていった
すると
消えると同時に
ポロポロと母親は泣き出した
弟の旅立ちが寂しいのだろうと
ハンカチを手渡した
家に帰ったあとは
弟の部屋を見るとからっぽにほとんど
なっていた
なんとなく変な気持ちになった
夜は父親が帰ってきて久々に
3人で食事をして
珍しくみんなでお酒を飲んだ
飲んでいたら
私は、ちゃすかのように
今日な、
弟送りに行ったらさ
いなくなった瞬間
ぎゃーて泣き出したんやで
びっくりしたわ!
そう言うと
母親はまた泣き出した
だってな
ずっと小さい頃から
育てて来たんやで
あんなに小さかったあの子が
あんなに成長して
1人で出ていってん
しかも一人暮らしなんてさせた事ないで
いままでずっと一緒におって
あなたが入院してるときも
助けてくれてたんや
あなたが一人暮らしのときも
どーしたらええんかな?
言うたらなんでもそうだんのってくれてん
だけど、
1つ嬉しいことがあった
あんたが家に帰ってきたこと
弟は旅立ったけど
その代わりあんたが帰ってきた
これからお父さんと二人やったら
ご飯をどう少なく作ったらええか
わからんかったし
お父さんとココ最近はケンカして
ばかりやったから
どうやって生活したらええか
わからんかってん
そしてこれから子供2人とも仕事につくことになる
なんてうれしいことなんや
子はかすがいや
おばあちゃんも喜んでるで
んでなんでな
子供のように話していた母親は
酔っていた
だから
寝かしつけると
下に戻ってきて
父親とお酒を飲んだ
父親は
よう帰ってきた
ほんまによう帰ってきた
そして
よう仕事を辞めたな
ほんまお父さんうれしいで
いままで
お父さんは殴ったりもしたけど
どーしても
病気もうけいれられなかってん
もっと教育し直さなあかんって
思ってん
ごめんなごめんな
と
頭をなでてくれた
私は、涙が出てきた
ほんでな
ここは、お前の家やからな
いーっしょうお前の家や
ずっとここにいてな
ずっと3人で生活しよな!
そう言われると涙がでて
1本タバコを吸って
眠りについた
1年前から
眠剤は、処方されなくなり
私は薬を飲まずに
寝床についた
再び風俗嬢そしてマルチ商法に引っかかるまでpart10(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
この頃には
25歳になり12月を迎えようとした
私はこの頃
店の女の子人数が少ないことから
ほとんど24時間出勤で
月曜だけの休みになっていた
ほとんど店に泊まり込みになり
朝に帰ってシャワーを浴びて
また出勤の毎日
そしてその後は不動産の男の人(35歳)
の人と
毎日少しだけ話して
スキマ時間で寝ていた
それは2月までつづき
イライラもしていたし
病院にも通うのが大変だった
ある日、休みの時に
あるスカウトと出会い
出稼ぎの話しをもちかけられた
ちょっと休憩って感じで
行くことにした
店にはバレてはいけないので
実家にしばらくいると
嘘をついた
そして
岡山県の出稼ぎが決まった
岡山に向かうため
冷蔵庫の中もからっぽにし
ブレーカーを落として
出稼ぎへと向かった
ほとんど初めての出稼ぎで
緊張していた
だが、
そこでは優しい岡山人に囲まれた
そして
大阪からの出稼ぎの女の子もいたりして
アットホームな感じだった
稼ぎも毎日8万円を越していた
ある日また、出稼ぎの女の子が来て
プラチナランクという
プレミア付きの高級店の女の子が来た
最初は全然仲良くなく
話もほとんどしていなかったのだが
ある日話しをしていたら
ちはるちゃん(源氏名)おもしろい
そんな子だと思わなかった
もっと早く仲良くしておけばよかった!
と仲良くなった
仲良くなってからは
行動を共にして出かけたり
ご飯を食べたりした
他の女の子もどんどん仲良くなり帰りたくないなくなっていった
あっという間に10日間が
経って
私は、どーしても
帰りたくなかった
高級店の女の子とも離れたくなかった
女の子に
私、帰りたくない
そう言うと
私も!
と泣いていた
2人は一致で
店に所属することになり
私達は寮を用意してもらい
2人で同じ部屋に暮らすことになった
一旦私は大阪の家を開け払うために
帰ることになり
給料を貯金として預けていたので
返してもらった
ただ金額の入った封筒はうすい
私は何も言えず
1度大阪に帰った
大阪に帰り
半分親には説明したことを
もう1度岡山県に住むことを
話しをした
そして月に1回は病院の通院で大阪に帰ってくることになった
帰ってきたついでに
2日くらい
不動産の男の子とも会って
私は、
また、岡山に帰っていった
そして毎日楽しい時間と仕事をしていた
そして
ネットワークビジネスの物を買うのにしんどくなっていた私
そして
今思うとどれだけの金額を借りたのかも
定かではない
どれだけ返したかもわからない
なので
私は、自然消滅した
そして
しばらくすると
仲のいい高級店の女の子は
稼げなくなっていた
元々富裕層が来る店ではなかったので
60分で3万円近い金額を払うのは
なかなかだった
そのうち
アパレルのバイトして
生活したいと
言うようになり
もう今年で26歳になるし
(私も一緒)
そろそろきりをつけたい
そう言われた
私は止めることも出来ず
実際は
私も、保証で4万円の日給保証も所属することでなくなり
稼げなくなっていた
私もそろそろけりをつけないと
そう思い
母親に電話をすると
母親は
ええやんええやん
私は大歓迎やで
もうそろそろ26歳にもなるねん
だから
家戻っておいで
なんか嬉しくなってきたし
そして
これでちゃんとお昼の仕事をしだしたら
不動産の男性にも告白できると
思った
彼を見返してやる気持ちになり
私と友達は
それぞれの道を歩き出した
再び風俗嬢そしてマルチ商法に引っかかるまでpart9(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
付き合ってから
LINEをよくしていた
大学も夏休み中で
仕事も
そんなに
いそがしくなかったみたいだ
たまに
教員室の自分の机が片付けられないなどと
写真を送ってきて
すみのほうに大きな三角定規みたいなものが
みえたりしていた
仕事の後は
私の家に来て
お酒を飲んで
話しをしたりしていた
とある
週末の日
彼と事におよんでいたら
私は途中で寝てしまった
すると
目を覚ますと
彼が不機嫌そうだった
ってゆうか
お前風俗やめーや!
ほんでネットワークビジネスも辞めて
ふつうの仕事しいや
もう辞めてくれ
私は、ランキングに入ったら辞めると
言った
するとわかった俺が店に毎日行ってランキングに入れてやるから
それで辞めろ!
辞めてくれ
そう言われた
だか
もうダメだ
そう思い
今までありがとう
そう別れを告げた
帰ってください
そう言うと彼は寂しそうに
出ていった
それから1度足りとも会わなくなり
連絡先すら消してしまった
私は、
しばらく風俗嬢を辞めれない自分を悔やんだ
辞めれない理由は
1年契約を破棄してまで
違約金を払ってこのマンションを
出るということが
いやだったのだ
仕事を昼にシフトすると
こんな部屋には住めない
そこまでその人に尽くしてもまた
粗末な扱いをされるに決まってると
わたしは思っていたから
すっぱり切った方がいいと
思ったのだ
すっぱり切った後
また、クラブ通いが始まった
今度はともだちとも一緒にいっていた
すると
あるカッコイイ男性と踊って
飲もう!っと言われた
そしてVIPルームに案内され
友達も連れていき飲んだ
少し明るくなるとそんなにカッコよくなかったので残念だった
話しをしていると
友達が
あれ?
と言い出した
え?
1回私に付いてくれたお客さんだよね
?
その男の子は焦り出した
私は、キャバ嬢という設定にしていたからだ
私がええねんで
私も風俗嬢だから!
と
ポロッと言ってしまった
それでなんで店に行ったかの経緯を
説明された
ただの付き合いだったが
そして
最後まで話しをした後
友達になってほしいと
電話番号と
LINEを交換した
その日はそれで
別れた
それから
その彼からは
毎日電話がかかってくるようになった
毎日10分くらい
無駄話に花を咲かせる
LINEもちょいちょいして
不動産の営業という仕事をしていることがわかった
電話はよく取り合っていたが
会うことがなかなかできず
電話だけの仲になっていた
何か月に1回かは
会っていて
そのうち恋愛感情をいだいたこのも
あったがまた、風俗の事でケンカになったりも
嫌なのでその感情を殺した
再び風俗嬢そしてマルチ商法に引っかかるまでpart8(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
私は、毎日忙しかった
昼間は
料理を勉強したり
飲み会に行って
友達を増やしたり
セミナーに行ったり
そして仕事
ネットワークビジネスというものは
一緒に商品を共有する仲間を増やしていかなければならなく
その仲間探しに明け暮れた
そして
商品も買わなければないないので
お金がたくさん
必要だった
だから、貯金をする間もなく
商品を買い
お金を少しずつ返して言った
そして
自分の友達にも
自分のお客にも
買ってもらったりした人もいた
だけど
一向にビジネスメンバーができず
いつの間にか
周りもあまり
協力してくれなく
なっていった
わたしは、商品を消費するだけに
なっていた
私はやる気もなくなり
どーしようか
迷っていた
その頃、
毎日、昔でいうディスコ
いまでいうクラブに1人でいって
いろんな人に酒を奢ってもらっていた
その中で
大学の講師をしている
男性に出会った
彼は30歳
某有名な都内の大学卒
わたしは仲良くなった
そして週末は
昼間から居酒屋で飲んで楽しんでいた
風俗嬢ということも垢しており
付き合いやすかった
なにより
統合失調症にも詳しく
体調も気にしてくれていた
そして
私達は付き合うことになった
再び風俗嬢そしてマルチ商法に引っかかるまでpart7(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
私は、引越しをした
あの若い男の子の家がとてもキレイで
料理をするキッチンも広いのが
とても羨ましく
しかも
自己破産をしても
保証会社を通せば
自分でも
部屋を借りれる事が分かったので
1DK対面キッチン付きオートロック
10畳の家賃10万円の部屋に引っ越した
そして広い部屋に引越ししたことを
その男の子に連絡すると
少し引き気味で
えっ?
そうなんだ
そう言われ
そうそうと話しを変えられ
病気に詳しい人が
1度話しをしてあげると
言われ
1度話しをしてもらうことになった
そこへ行くと
40代くらいの
夫婦がいた
すると
世間話をたくさんした
話の仕方は
とてもうまく
面白い話だった
そして
本題の病気のはなしになった
実は、
統合失調症というのは
タンパク質不足らしいと
話しをされ
いろいろな
メカニズムを
絵に書いて
教えてくれた
そして、
そういったセミナーが
今日あるからと
呼ばれて
心斎橋のある小さな会議場に
連れていかれた
そこで
いろんなコトをおもしろおかしく
たくさん 話してくれ
とても為になった
会場はたくさんの人でうめつくされ
ものすごく
楽しかった
その講演会は
ビジネスとしても
スキルをあげていけば
できるらしく
その仕事を
ネットワークビジネスというらしい
私はそれに魅力を感じた
その後は、
わかったでしょ?
これとかこれを買って
使うと
健康にもなるし
お金を稼ぐこともできて
風俗も辞めれるんだよ!
そう言われた
ちなみに金額はこれくらいかかるんだけど
僕が貸しておいてあげるよ
そう言われ
借りる!?
そのワードが引っかかる
私が
借りるのはちょっと親に相談しないと
そう言うと
親って言うものは
なんでも心配するものだから
言わない方がいいよ
だから
ネットワークビジネスを始めたあと
言ったらいいよ
それからだったら
風俗もやめれてるし
親も認めてくれるよ
そう言われた
だから
ネットワークビジネスを始めることだけを
電話で母親に話しをした
そして
お金はあの男の子が負担し
鍋などキッチン用具
浄水器
空気清浄機などを買った