私が風俗嬢になったワケpart9(鬱気味風俗嬢Mの今夜も眠れない)
訪問介護の職員になった私。
毎日4件の家を訪問
訪問介護は
透析の方や
痴呆症で暴れる方
のところに訪問
毎日疲れ果てていた
患者さんに罵声をあびせられたり
目をつつかれたり
ご飯を作っても 味があわないと
言われたり
毎日
母親に愚痴ばかり
言っていた
やはり
介護するスタッフが少ないので
私は、
ほとんど毎日働き
休みなどなかった。
そのせいか
1か月で14㌔も痩せた
痩せて行くと
体力もなくなり
毎日動くこともしんどくなり
最終的には
遅刻気味になってきていた
そして
使い物にならなくなり
統合失調症であることもばれてしまい
仕事もしばらく休んでくださいと 言われたまま
連絡がこなくなった
ある日
病院に行ったら
体調は入院したほうが
早く治るかもしれないと
大きな病院を紹介された
病院に行くと
いろいろ説明をうけ
入院となりました
だが、しかし
タバコを1本吸ってから入院に入ろうとしたら
黒人のような大柄な男の人に
タバコを取り上げられ
怒ると身体をおさえられ
病室へ連れていかれた
病室は思っていたのとちがい
監獄のような場所で
トイレとベッドしかない
窓は完全に開けられなくなっている
そこにパジャマを着せられて入れられ
私は違法な病院に入ったと思い
出せ!早く出せ!
とドアを蹴り大声を出していた
毎日、大声を出し続けると
ある日
怖い顔をした看護師がきて
あなたの声はうるさいから
扉をしめさせてもらいます
と
防火扉の様なものにかこまれて
部屋は真っ暗になってしまって
小さなランプのようなものがついているだけだった
閉鎖病棟だった。
やっとスマホになってからスマホにして
いじりたくて仕方なかった
だけど、
スマホもない
音楽もかけれない
TVもない
なにもないところで
生活してても
やることがなく
毎日泣きながら
ドアを蹴飛ばして
あけてー!
と言っていた
毎回3食の食事を運のと取りに来るときだけ
ドアが開けられて
食べたくないと思うが
お腹が空いてしかたがない、
だから
飢餓の子のようにむさぼるように
ご飯を一生懸命食べていた
食べてもお腹のたしにもならず
お皿も舐めていた
そんな日にちが
2週間たったら
何時間かだけ
ドアを開けてくれるようになった
廊下をうろうろして 毎日を過ごした
すると歩いた先に
テーブルの席があって
食事の時はみんなで食べても良いと言われて
みんなで食べるようになった
でも、
何時間かたつと
防火扉のような中に詰め込まれて
1人にさせられる
暴れることはなくなったが
やることはなく
暇な時は寝るようにしたが
それもそのうち寝れもしなくなって
数字を数えて1分経ったとか考えていた
実ははめていた
腕時計もとりあげられたし
どこにも時計はなかったので
食事の時に何時になったかを
知る状態だった
そんな日がまた、1か月半ほどすると
キレイな病室に移された
2か月ぶりに
何時間かだけ
スマホもいじらせてくれるようになり
いろんな人と話しをしていたが
やっぱりお腹をすかせていることが
多かった
3食の食事以外は与えられない
ただやることがないので
常にお腹をすかせている状態で
お菓子など許されている患者は
カップ麺を食べたりしていたが
それを見ながら
必死におなさけでもらえるように
していたが
もらえることはない
ただ、食べ物のトラブルはたくさん
いろんな患者さんとの間ではあった
誰々が私のご飯食べた!
とか
お菓子が盗まれたなど
みんな食べ物がほしくて仕方なく
食べ物のことで
取っ組み合いの喧嘩もたくさんある
毎日の食事もとても少なく
普通の人間には足りないものだった
私もちょっとでも食べたいから
朝食のクロワッサンが食べれなく食事を下げようとして
廊下に置いてあった
袋に入ったクロワッサンを
盗んだりしていた
それを毎日行い
お腹の足しにしていたら
ある日
大きな身体をした男性看護師にみつかり
お仕置きとして
また、奥の防火扉のような部屋に入れられ
スマホも取り上げられた
朝食にお粥とリンゴジュースだけでは
お腹がすいて仕方ないのにと
悔し泣きをしていた
普通の食事を
しているのに
どんどん体重は増えて
10㌔以上も太った
入院してから
3か月がたった頃
私はその部屋から閉鎖病棟から
脱出して退院となった